論理的思考は論理的なのか?

会社の研修でロジカルシンキング(論理的思考)の講義を受けました。私の思う論理的とロジカルシンキングの講義で教わった論理的に大きな差を感じたので、考えをまとめておきます。

論理といえば

論理と聞いて真っ先に思い浮かべるのが論理和や論理積などを取り扱う数理論理学です。ベン図を書いたり真理値表を埋めたりするのが私の頭の中の論理です。しかし、その授業では数学記号どころかかつまたはならばなどの言葉も出てきませんでした。

論理といえば数学的にはっきり白黒決まるようなものと勝手に考えていましたが、意外とそうでもないということをその講義を通して理解しました。

そんな回答はありえない

その講義では以下のような問題が出されました。

論理的な人と論理的でない人、物事に対してそれぞれどのような考え方をするか述べなさい。

単純に考えれば、答えは論理的な考え方と論理的でない考え方になると思いますが、この問題では何か他の言葉をあてはめなければなりません。この問題の想定回答は、立場の観点に着目し、論理的な人は客観的に考え、論理的でない人は主観的に考えるというものでした。私の回答は論理的な人は客観的に考え、論理的でない人は客観的ではない考え方というものでした。しかし、講師の方にそんな回答はありえないと一蹴されてしまいました。

ここで思うのは、論理的な人と論理的でない人というのは全人類をダブりなく網羅しています。しかし、客観的と論理的は全人類をダブりなく網羅していないです。このブレがすごく論理的でないように感じてしまいます。ダブりなく網羅しているという概念はMECEと呼ばれ、数理論理学や数学においてとても重要な概念です。(最後に書きましたが、これについては論理的思考というよりも、講義自体に問題があったと思います。)

一般的な論理的とは

Wikipediaによると、

論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す

一般的に論理的な思考とは思考の流れに飛躍がなく、つながっていることを言います。しかし、そのつながりを感じるか否かというのは前提知識の量により激しく異なります。例えば、ケーキを作るから卵を買ってきてという文章は一見つながっているように思います。しかし、それは聞き手側がケーキの材料に卵が必要なことを知っているからです。また、一般的に、卵を買える店が近くにあり、卵を買うという行動が卵を入手するという目的において最適であるという状況が想定されます。聞き手が鶏卵農家を営んでおり、近くにお店もないような場合にはなぜわざわざ買いに行かなければならないのかという疑問が生じることでしょう。

現実では常識的どうか、話し相手はどうかを考えないと論理が飛躍してしまったり、逆に冗長なくどい説明になってしまったりします。ロジカルシンキングではそのようなコミュニケーション力を備えることが目的だと思うので、名前をロジカルシンキングではなく、空気読み力などに変えたほうがいいと思います。

最後に

この記事を書くためにロジカルシンキングについてWeb上で調べていましたが、普通にMECEの解説もされているページが多かったです。ということは会社で受けた研修があまり良くなかったのであって、ロジカルシンキングや論理的思考を否定するものではないと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました